「そもそも弥生時代って、どんな時代だったの?」
稽古場で何度も飛び交うこの言葉。
たしか、学生時代も、弥生時代は最初の2ページぐらいで終わったような……。
・厚くてもろい縄文土器と、薄くて硬い弥生土器。
・稲作が始まった。
・高床倉庫。
・邪馬台国と卑弥呼。
…………。
弥生時代の知識は、これで全部!
これでは役作りも何もできないよ!
と、みなさんが思ったかどうかはわかりませんが……
百聞は一見に如かず!
いざ、弥生時代の遺跡見学に、となりました。
これはくっついていくしかない!われわれ制作スタッフも即準備です。
やったー、旅行だ!
そして、やってきました「田能遺跡」!!!
阪急「園田駅」からバスで10分。そこから徒歩15分!
???
どこ?
知らない……。
登呂遺跡(静岡)や吉野ヶ里遺跡(佐賀)じゃないの?
せっかく観光旅行ができると思ったのに……。
尾方さんなんて、今回、舞台になる邪馬台国の遺跡に行くと思っていたらしい……。。
※邪馬台国は遺跡が見つかっておらず、所在は不明です。畿内説と九州説が有力だそうです。
気を取り直して……。
田能遺跡の職員さんは、皆さんとても素敵な方たちで、いろいろ優しく話しかけてくださいます!
それならば!
遊びに来たのではないので、しっかり勉強します!
弥生時代といえば、やはり、弥生土器! 稲作! 竪穴住居! ですよね。
弥生時代に稲作がはじまって、竪穴住居に定住するようになった、ということは前日に、教科書をひっぱりだして予習してきました!
ところが……!!
× 弥生時代になっても、東日本などでは、縄文土器が使われていたところもある。
× 米作りは、縄文時代後期に大陸から伝わって西日本ではじまった。
× 縄文時代には、竪穴住居での定住集落が発生していた。
ぜんぜん、調べてきたことと違う!!
そもそも、縄文時代と弥生時代って何が違うの!?
やっていること同じじゃない!
さらに、竪穴住居って、むかーしの時代のものだと思っていたら、奈良時代の「貧窮問答歌」でも出てくるんですね……。
→[ボケプリ 涙と笑いの日本の歴史]
室町時代ぐらいまで竪穴住居に住んでいた人もいるみたいです。
貴族だ武士だといっている時代に、竪穴住居に住んでいるなんて……。
いつの世も庶民には世知辛いことがよくわかりました。
昔の演劇人は、やっぱり貧乏でいつまでも竪穴住居に住んでいたのかな……。
偉い人と庶民。
お金持ちと貧乏人。
そんな身分制度や貧富の差が確立したのは、どうやら弥生時代だそうです。
稲作や定住によって、田んぼを作ったり堤防を作ったりする必要ができたようです。
そのような土木工事をするためにリーダーが生まれてきて、その人たちが「族長」になったり、さらに強い力を持つ「王」になったようです。
こういった人たちは、今回のタイトルにもなっている勾玉を身につけたり、鏡などの装飾品を持つようになったようです。
田能遺跡で見つかった人骨にも、装飾品を持った人骨が入った柩が2体だけあり、他の柩には装飾品がなかったようです。
そこから、この2人は、リーダーだったことが想像されています。
こうして、持てる者と持たざる者が生まれたのですね。
そういえば、高床倉庫は実は、倉庫ではなくて身分の高い人の住居や神殿かも?という説もあるようです。
高いところに住むことが、弥生時代でもステータスだったのかもしれません。
タワーマンションの高層階に住みたがるお金持ちは、弥生人のDNAを引き継いでいるのかもしれないですね……。
面白いことに、縄文時代に比べて弥生時代は生活の余裕ができたことで、貧富や身分の差が生まれたようです。
狩猟生活を送っているときは、皆が今日を生きることで精一杯で、食料を得る以外のことをする余裕はなかったようです。「働かざるもの食うべからず」ですね。
しかし、稲作などの農耕が始まることで、狩猟で生計を立てていた頃に比べて手に入る食料がとても増えたのです!
弥生時代には、鉄器が使われるようになったこともあり、なんと同じ面積の土地から産み出される食料が狩猟に比べて100倍以上になったとも……農業すごい!!
一人で一人分の食料を取ることしかできなかった時代に比べて、一人で数人分の食料を生産できれば、その人たちから食料を集めてお金持ちになる人が生まれたり、別の人に仕事を任せて、趣味や芸術に没頭することができるようになります。
こうして、衣食住以外の「無駄なこと」をする余裕が生まれたようです。
芸術に没頭といえば、私たちのやっている演劇もこの時代に生まれたのでしょうか?
調べてみると『古事記』や『日本書紀』にも演劇みたいなことはあったようです。
『古事記』や『日本書紀』はずっと後の時代に書かれたものですが、国の成り立ちのころから書いたもので、縄文時代や弥生時代にも演劇があったのでは?と言われています。
春斎年昌 錦絵 『岩戸神楽之起顕』
よく考えると「天岩戸」伝説なんかは、日本最古のコンテンポラリーダンスかもしれませんね!いや、岩を突き抜けて盛り上がりが伝わったみたいだから、ストリートダンスのような激しい踊りかな?
とにかく、大陸から農業(稲作)が伝わり生産力が増大することで、社会が大きく変化していった時代が弥生時代、ということらしいです。
なるほどー。
そして、この田能遺跡では、死者を埋葬する木棺が見つかったようです。
木棺が見つかって何がすごいの?
と、思った方、よく考えてみてください。
庭にタイムカプセルを埋めるときに、どんな箱を選びますか?
プラスチックや金属の箱に入れるんじゃないでしょうか?
まさか、木箱に入れようと思わないでしょう?
もし、木箱に入れて埋めたら、数十年後に掘った時には、箱が腐って中身が散乱してしまいます。木は有機物なので、土中で分解されてしまうのです。
それが、この田能遺跡では奇跡的に保存されていて残っていたようです。
残りにくいもの、ということでは演劇はその代表的なものですね。
数十年の期間を置かなくても、幕が下りた瞬間に終わってしまう演劇。
ぜひ、『裸に勾玉』も見逃すことなく観に来て頂ければ幸いです。
さて、田能遺跡では、その他に、壺の柩も見つかっているようです。
壺は小さな子どもの亡骸を入れるのに使われていたようです。
平均寿命はいまとは比べ物にならないと思いますが、子どもを失った親が、我が子を大切に埋葬してあげたいと思う気持ちは、今も変わらないのですね。
「身分の高低」「貧富の差」「死者への弔い」「豊作を祈る気持ち」……
弥生時代は、生きるためだけではない、もう少し「無駄」が許されるようになり、こうした「文化」が発達した時代なのですね。
やがて、こういった「無駄(=文化)」が大きく発展して、ばかでかいお墓をつくっちゃう古墳時代に繋がっていくのですね。
MONOの舞台美術も「なんだか無駄なくらいにすごくないか?」って毎回びっくりしてしまうのですけれど、それもルーツは弥生時代にあるのかなぁ……なんて思ったりします。
弥生時代のもうひとつの特徴は、「争いごと」が起こるようになったことです。水の利権をめぐって、境界をめぐって争うようになっていったとか。
境界をめぐる争い……ふと、MONOの『少しはみでて殴られた』を思い出しました。
『少しはみ出て殴られた』(2012年)[撮影:谷古宇正彦]
食料が増えて豊かになった反面、社会制度ができていって身分や貧富の差が生まれたり、生きるためだけではない、余暇や装飾品に使うようになった弥生時代。
きっと「あの人の勾玉の方が大きい」なんて小さな嫉妬がそこにはあって、いろんな人間模様が生まれる……それはなんだかMONOのお芝居にも通じるなと思いました。
弥生時代と現代、まったくちがうこともあれば、まったく同じこともあって、
ストレスの原型なんかはその頃にすでにあったんでしょうねー。
さて、私たちの最大のストレスは、チケットの売れ行きです!
さっきも宣伝しましたが、もう一度宣伝させてください!
MONO『裸に勾玉』では古代に想いを馳せつつ、ストレス発散!?
すてきな「無駄」を体験できるかも!…なんて(笑)。
ぜひ、みなさん、観に来てくださいね~。
撮影:西山榮一[PROPELLER.]
作文:MONO制作部
協力:尼崎市教育委員会 田能資料館